東京高等裁判所 昭和29年(う)2577号 判決 1955年12月28日
控訴人 原審弁護人 坂上富男
被告人 佐藤清治 弁護人 新津章臣
検察官 小出文彦
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人新津章臣提出の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを、ここに引用する。
よつて考察するのに、商法第四百八十六条は、特別背任の罪の成立の要件として、事務を処理する者の任務に背く行為の動機につき「自己若くは第三者を利し又は会社を害せんことを図りて」と規定し、一般背任罪の規定たる刑法第二百四十七条には、その動機として、「自己若くは第三者の利益を図り又は本人に損害を加ふる目的を以て」とあつて、その用語上、前者の罪の成立については、事務を処理する者において自ら現実に利益を収めたるか又は第三者に利益を収めしめたことを要するものの如く、従つて、両者その意義を異にすべきが如きも、元来、背任の罪の本質は、他人からその者のための事務の処理を委託せられた者が、その任務に背く行為によつて本人に財産上の損害を加えるところに存し、苟くも、その委託せられた者において、自己若くは第三者の利益となることを知りながら、敢てこれを認容して任務に背いた行為を為し、もつて本人に損害を加えたる以上、自己又は第三者において現実に利益を収めたると否とを問わず、背任罪の成立あるを免かれないものというべきをもつて、商法第四百八十六条所定の特別背任の罪の成立についても、その本質において右とその軌を異にすべきいわれはない。同条は、発起人、取締役等特別の身分を有する者の背任の所為につき、その職責の重要なるに鑑み、刑法所定の一般背任罪におけるよりその刑を特に重くしているというにすぎない。果して然らば、商法第四百八十六条所定の特別背任の罪の成立するがためには事務を処理する者において自ら現実に利益を収めた事実があるか、又は第三者に利益を収めしめた事実あることを要する旨主張し、これを前提として被告人の所為につき右特別背任の罪の成立を否定する所論は採用するに由がない。しかしながら、記録及び当審事実取調の結果によるときは、原判示新潟市所在北越住宅金融株式会社は、住宅の新築、修理、畳建具、家具等の購入斡旋を兼ねて貸金業を行うことを営業目的として発足し、その具体的な事業として、加入者を募集し、該加入者より住宅、新築、家具、物品の購入代金等に充当するため、金額と期間を定めて日日一定の金額を積立てさせ、加入者が右契約の物品等を購入すれば、該代金を会社が右積立金にて代位支払を為し、又物品等を購入せずに滞りなく右積立期間を終了したるときは、直ちに、右積立金の全額に一定の利子を加えて払戻すことを業とする一方、右募集にかかる積立金を基本にして貸金業を行おうとして、貸金業等の取締に関する法律所定の手続を経て法定の貸金業者たる資格を得ようとしたが、これを得ることができなかつたので、右会社の経営の一切を掌握していた社長の長谷川国興は、窮余の策として、他の取締役等とも相談の上、予ねて同人が、個人として法定の貸金業者たる資格を有していたところから、前記一般加入者から会社名義をもつて募集した金員を、長谷川個人において借り受け、これを同個人の名義をもつて一般に貸し付ける形式をもつて脱法的に貸金業を行う方法を企て、同社の三条営業所の所長たる被告人に対しても、会社の事業としてこの方法によつて貸金業を行うべきことを命じ、これが営業を行うについては、三条営業所かぎりの募金をもつてこれを為し、その貸付については、その貸付の都度、社長ないしは会社取締役会等の承認を経るを要せず全く被告人の一存でその適切と思料するところに従がつて貸し付け得ることとされ、被告人はこれが委託事務を忠実に実行したものであつて、特に、会社の信任に背いたとか、委託の趣旨に背いたなどという事跡は毫もこれを認め得るに由なく、ただその経営が結果において破綻を来すに至つたというにすぎないことが明白である。果して然らば、被告人の所為については、或は他に別個独立の犯罪の成立するの疑なしとはしないにしても、他人の信任にかかる任務に背く行為のあつたことを必要とする背任の罪は、到底成立するの余地なきものといわざるを得ない。されば、原審が原判示事実を認定した上、被告人の所為につき、その成立ありとして被告人の特別の地位に照らし、商法第四百八十六条所定の特別背任の罪に問うたことは、結局、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の過誤を冒したものというのほかなく、原判決は、この点においてその破棄を免かれない。論旨は、窮極において理由がある。
よつて、本件控訴の趣意はその理由があるから、刑事訴訟法第三百九十七条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但し書の規定に従がい。被告事件について更に判決をするのに、すでに前段において説明したところによつて明らかなように本件公訴事実における「被告人に会社の事務を処理する者としてその任務に背く行為があつた」という趣旨の事実は、証拠の上で到底これを認めることができないから、本件公訴事実は、窮極においてその証明なきに帰し、被告人はこれが事実につき無罪であると言わざるを得ない。よつて、刑事訴訟法第四百四条、第三百三十六条後段の規定に従がい主文のとおり判決をする。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)
控訴趣意
原判決は事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかである。即ち、原判決はその理由中罪となるべき事実として「集金せられた金員を被告人が会社のため善管注意義務を以つて保管する任務を有しているのに拘らず、自己の利益を計る目的を以つて云々…………以て右会社に対し之と同額の損害を与えたものである。」と認定している。而し乍ら商法第四百八十六条特別背任罪の構成要件は「(1) 会社の役員又は或種類若は特定の事項の委任を受けたる使用人が(2) 自己若は第三者を利し、又は会社を害せん事を図り、(3) その任務に背き会社に財産上の損害を与えた」事を必要とすることは云う迄もない。其処で前記認定事実を考えるに被告人が取締役であり又三条営業所の責任者である事は明白である。次に「自己の利益を計る目的を以て営業所長の任務に背き…………借り出し云々」の認定であるが、これは明らかに特別背任罪の「自己を利し」なる行為と異る、即ち弁護人は同条の云う「利し」たる意味は現実に利得をした事を示し単なる自己の利益を計る目的とは別個の行為でこの利得行為が行為者の任務に背き結果として会社財産の損失が発生する事を必要とするものと解する。この点は起訴状が単純背任で起訴し乍ら第一回公判に於て検察官が罪名、罰条の変更をしている事により原審裁判官が漫然と之を看過ごして事実を認定したのではないかとも推測出来る。其処で原審記録により自己を利し、任務に背き会社の財産上に損害を与えたと認定し得るかと云うに、原判決引用の証拠では此の点に関する立証は不十分である。むしろ北越住宅金融株式会社が所謂同族会社に属するもの(此の点定款、証言により推測に難くない)である事を前提とし原審昭和二十九年二月十六日の公判に於ける証人長谷川国興の証言、被告が証人名義で会社から金を借出し一般人に貸付けた事を知つている(記録二十八丁裏)、設立後二、三月して会議を開いた席上で話している(記録二十九丁表)、毎月末日被告より証人に報告し証人が財務局に報告していた(記録二十九丁裏)、時々やる取締役会議の時一括して相談している(記録二十九丁裏)、乙第二号証委仕状の存在(記録三十八丁)を綜合して見ると自己を利しに該当せず、むしろ会社対長谷川の貸借関係であり、同族会社にあり勝な取締役会の承認得ている行為であると認定出来る。従つて被告人が単に利益を計る目的を以て任務に背き借り出し会社に損害を与えたと云うより、この貸借関係が清算されていない為会社の未回収金を誤り認定したものと云わざるを得ない。ましてや先に述べたる如く被告人が利得している事不明瞭な本件は事実誤認と云わざるを得ない。因つてその誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないものである。